IVWのノート

たまに書きます。

IVWの目指すところ

2020年の9月22日に「Interectional Veganism Workshop」という勉強サークルを立ち上げました。半年以上経ってしまいましたが、改めてこのサークルの目的と基にある考え方についてまとめたいと思います。

何をしているサークルなの?

Intersectional Veganism Workshop(以下IVW)は動物の問題とその他の社会問題について、実践に生かせる学びができる場として開かれました。
団体名に冠した英単語は「Intersectional」=「交差的な」、「Veganism」=「脱搾取主義」を意味し、動物に対する抑圧とジェンダーや貧困、障害、環境における抑圧とは複雑に結びついていることに着目しています。

Intersectionalityとは

「Intersectional」を名詞化した言葉が「Intersectionality」=「交差性」です。この言葉は人種とジェンダーの問題の中で初めて使われました。

「交差性」という語は、法学者キンバレー・クレンショー(Kimberle Crenshaw)によって、黒人女性の置かれた特有のジレンマを語るために使われ始めたとされる。すなわち、「黒人」というカテゴリーでは黒人「男性」が、「女性」というカテゴリーでは「白人」女性が代表されてしまうために、いずれのカテゴリーにも「黒人」かつ「女性」である者の経験は十分に含まれ得ない。このような黒人女性が経験する二重の排除を、この語を通じて明らかにしようとした。

引用元:スナウラ・テイラー(2020)『荷を引く獣たちー動物の解放と障害者の解放』(今津有梨訳)p.41,洛北出版.

「黒人」であり「女性」であるというように、個人のアイデンティティは様々な属性が組み合わさることで構成されています。
人種やジェンダーセクシュアリティ、国籍、階級、身体的/精神的障害の有無、貧富などの個人を分類する属性は無数にあり、どのような組み合わせになるかは人それぞれ異なります。
そして、その組み合わせが異なれば、抑圧や差別の形は違った様相を見せるため、個人の受ける抑圧というのは1つの属性だけで判断できることではないのです。その人の持つ属性がどのように組み合わさっているかに注目することが、その人の受けている差別の構造を理解するために必要です。

Veganismとは

ヴィーガンやビーガンという言葉は最近よく耳にするようになりましたが、多くの場合「完全菜食主義」と訳されます。しかし、これはveganismの理念を正しく表現していない訳語であると考えます。

"Veganism is a philosophy and way of living which seeks to exclude—as far as is possible and practicable—all forms of exploitation of, and cruelty to, animals for food, clothing or any other purpose; and by extension, promotes the development and use of animal-free alternatives for the benefit of animals, humans and the environment. In dietary terms it denotes the practice of dispensing with all products derived wholly or partly from animals."

引用元:The Vegan Society「Definition of veganism」(https://www.vegansociety.com/go-vegan/definition-veganism

「The Vegan Society」は世界で最初に設立されたveganの団体です。HPに掲載されているveganismの定義を引用しました。
この定義によると、「Veganismとは、食べ物やファッション、その他の目的における動物の搾取、残虐行為を可能な限り回避する生活様式」であり、「食事の面では、動物由来の食品の全てまたは一部を食べないことを示す」とあります。

マーク・ホーソーン『ビーガンという生き方』の中で、訳者の井上太一さんはveganismに「脱搾取」の語を、veganに「脱搾取派」の語を当てられました。私たちはこれに倣い、veganismの訳として「脱搾取主義」を用いています。

VeganismとIntersectionality

さて、veganismは簡潔に言えば動物の抑圧に対する反対運動ですが、それが主に人の差別問題の文脈で用いられる「交差性」とどのように関わっているのでしょうか。
これはこのサークル内で考えていきたい問いですが、先程取り上げた『ビーガンという生き方』の中で興味深い記述があったので引用します。

本書の主題の一つは、抑圧を単独で考えてはならない、という点であり、それはもろもろの抑圧がみな、大抵は暴力や暴力の脅しを支えに、特権・統制・経済力によって結び付いているからである。…(中略)…種差別は特異な抑圧で、その加害者には脱搾取派ではない他の被抑圧集団の人々が加わる。したがって、他の不正は人々を別々の集団に分けるが、種差別は人々を一つにする。

引用元:マーク・ホーソーン(2019)『ビーガンという 生き方』(井上太一訳)p.196,緑風出版

おわりに

この1年の間にもヴィーガンを巡る状況は大きく変化したと思います。新型コロナが広まる1つの原因として食肉文化が取り上げられましたし、気候変動問題に対して声を上げる人が増え、ヴィーガンという言葉を触れる機会が増えたと感じる人もいるのではないでしょうか。
しかし、そのほとんどは食のカテゴリの1つのような扱いであり、ヘルシーで環境にも優しいという文面をよく目にします。

もちろんおいしい菜食レストランが増えることは喜ばしいことですが、Veganismはそもそも抑圧や差別に反対する活動であるということをもっとたくさんの人に知ってもらいたいです。
Veganismと身の回りにあふれる様々な差別を関連付けて学ぶことで、種を超えて他者を尊重することができるようになる、それが私たちの目標です。